精神世界を探求しているけれど、現実は思うようにいかないという方へ




精神世界、スピリチュアルなことを勉強して、理解しているつもりなのに、
現実の人生や生活では思うようにいかないのはなぜでしょうか?


人生には一度か二度、死んでしまいたくなるようなどん底の時期もあることでしょう。
ところが、あまりの苦しさに、救いや究極の心の幸福を求めて心理学、哲学、宗教など、
あらゆる精神世界の本を読みあさり、セミナーのはしごをして、そのときは悩みが消えても、
時間が経つと、また元のように、苦しみや悩みがわきあがってきて、
同じ事を繰り返しているということはありませんか?

少し立ち止まって、考えてみてください。

精神世界について学んだ知識は、あなたの人生に本当に活かせているでしょうか?あなたが本当に望んでいることは、どんなことでしょうか?それを考えたことはありますか?

解決の考え1 精神世界の落とし穴

精神世界のことを猛烈に学んで、頭の中は愛だ、感謝だ、喜びだと、知識は豊富なはずなのに、
自分の足元である現実はちっとも好転しない。
それどころか、仕事やお金の問題も夫婦関係もますます悪くなる一方。
その上、お金と時間ばかり浪費して、「いったい自分は何をやっているんだ…」と己を責めながら、
心にナイフを何度も突き刺してしまう…
あるいは、自分だけがわかったつもりになって、まわりの欠点を見つけては、
「あいつって本当にレベルが低いよね」とか、「あんな政治家は、今すぐ辞任だな」とか、
自分のことはすっかり棚に上げて、価値観だけで人を裁いてしまう…
こういうお話をすると、身に覚えがある人も多いのではないでしょうか。

そんな経験のある人は、心の世界を頭で学んでいる可能性があります。

「真我」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
真我とは本当の自分であり、宇宙の根源、神の心といってもいい、
愛そのもの、喜びそのものの存在です。

「そんなことは言われなくてもわかっているよ」と思うかもしれません。

しかし、あなたの現実が変わっていないとしたら、もっとも心の深いところにある「真我」を、もっとも浅いところにある観念で学ぼうとしているのです。

解決の考え2 観念は道具であって、本質ではない

観念とは、道具なようなものです。料理でいえば包丁ですね。
料理を作るためには必要ですが、料理そのものではない。当たり前の話です。
ところが、道具をせっせと磨くことばかりに夢中になりすぎると、
切れ味の鋭い包丁であればあるほど、愛と感謝の心で作れば
この上なく美味しい料理を作ることができるはずなのに、
迷った心や奢った心で作れば、簡単に自分や人を傷つけてしまう。

包丁と同じで、観念という道具ばかり磨いても、真我に目覚めていなければ、うまくいかない自分を裁き、わかったつもりで人を裁いてしまうのです。

もっといえば、原因と結果の法則で、心が変われば現実は変わって当たり前だということ。
つまり、頭で理解するのが「わかった」ではなくて、現実生活が変わるのが「わかった」ということなのです。

解決の考え3 心の三層構造

では、どうしたら現実が変わるのでしょうか。
このページを開いたあなたはすでにご存じかもしれませんが、心は三層構造でできています。
一番上が「頭(観念)」、真ん中が「業」「カルマ」「過去の記憶」といえるもの、
そして、その奥にあるのが「真我(本当の自分)」です。
完璧で完全なる素晴らしい意識が、あなたの心にすでに存在しています。
真我に目覚めるために、知識をインプットする必要はありません。
なぜなら、真我という温泉を掘り当てるがごとくボーリングしていき、最後のひと掘り「トン」っと突いたら、
一瞬で温泉がドーっとわき上がるように、自動的に全身が真我で満たされるからです。
「真我」で満たされたあなたは、愛そのもの、喜びそのもの、プラスそのもの。
その心が言葉となり、行動となり、足元の現実に投影されるのです。
プラスそのものの心がつねにわき上がっている人が、プラスを学ぶ必要はありますか?
これまでのあなたは、そう思えないからプラスを学ぼうとしていたのです。
しかし、プラス思考も愛も感謝も、私たちはもともと知っているはずです。
もともとあるものは、学ぶのではなく、引き出せばいいだけ。真我の体感は、まさに爽快、壮観です。


『真我』とは、教えではなく、あなたの中にある答えです。

『真我』の出逢いには、職場、夫婦、親子の人間関係、お金、性格、トラウマ、などの問題を一瞬で消し去り、
人生の目的探しや自分探しの答えも全てが備わっているのです。