YSメソッド実証例
27年のSAD、うつ・自殺未遂から急快復!

高橋隆さん(49才)

「ありがとうございます」が言えない

私は元々すごく緊張症で、内向的な子どもでした。20才の頃、社会人になり、オートバイ用品やウェア類を販売する仕事に就きました。

それから順調に仕事をこなしていましたが、2ヵ月ほど経ったある日のこと、電話に出たときに「ありがとうございます、○○会社の高橋です」と言うべきところが、なぜか「あり……」と言ったまま止まってしまいました。

続きの「……がとうございます」を言おうとしても、どうしても出てこないのです。

絶対に「ありがとうございます」と言わなくては。そう思った私は、電話口でずっと「あり……」「あり……」「あり……」と繰り返していました。

受話器の向こうで、通話相手の女性がケタケタ笑っているのが聞こえ、恥ずかしくて辛くなりました。この体験の後、電話に出るのが怖くなった私は、電話のベルが鳴るたびにドキッとして恐怖を感じ、近づきたくないと思うようになっていきました。
 
そうしているうちに、お店へいらっしゃったお客様にも「ありがとうございます」が言えなくなっていきました。

それだけでも悩んでいたのですが、さらには「いらっしゃいませ」も「いら……」「いら……」「いら……」と、言葉が出なくなってきたのです。

ある日、親しい友人が彼女を連れてお店に来てくれました。

私は格好いいところを見せようと張りきったのですが、やはり「ありがとうございます」が言えなくて、「あり……」「あり……」「あり……」と言ってしまいました。

友人は「お前、何言ってんねん」と茶化しましたが、私としてはすごく恥ずかしくて、ますます「ありがとうございます」が言えなくなっていき、先輩にもそれを指摘され、怒られるようになりました。

そのうち店で働くこと自体がすごく辛くなり、仕事を辞めてしまいました。

接客業がだめならということで、私はケーキ職人の世界に入りました。

勤務先は百貨店で、食品フロアのブースのなかで、ケーキ作りの実演販売をすることになりました。

直属の上司はすごくいい人でしたが、まだ新米の私にすべてを任せ、営業時間中はどこかに行ってしまっていました。

確かに、お客様と直接会話することは減ったのですが、新人でありながらお客様の前でケーキを作るのはすごく苦痛で、緊張してしまいました。

慣れない手つきでやっていますからお客様に笑われてしまったり、時には「何やってんの、この人」などという声が聞こえてくることもありました。

それで今度は、体に変調が表れて、仕事が手につかないようになってしまいました。

これ以上は続けられないと思った私は、何かしら理由をつけて、この仕事も辞めてしまいました。

藁にもすがる思いで、精神科を受診

また仕事を探して、私が就いたのは、なぜか接客の仕事でした。

某有名ファーストフード店なのですが、今度は「ありがとうございます」といった言葉はマニュアル化されていて、きちんと言わなくてはいけなくなってしまいました。

最初は何とか乗り切っていたのですが、そのうち誤魔化しが効かなくなっていきました。

さらには「少々お待ちください」「お待たせしました」といった言葉も言えなくなり、電話に出るのも苦しく、接客業務に支障をきたすようになったのです。

それですごく辛くなって、この仕事も続けることができなくなりました。

どうすればいいか悩んだ私は、思い切って独立することにしました。独立すれば、言えない言葉を避けながら仕事ができる。

そうすれば、こんなに苦しまず、楽に生きられると思いました。借金までしてお弁当の店を開いたのですが、結局はうまくいかず、3ヵ月でお店を閉めてしまいました。

この時期、私は妻と婚約していました。年を追うごとに「ありがとうございました」が言いづらくなっていましたが、恥ずかしさもあり、それを妻に話したことはありませんでした。

結婚するためには早急に借金を返す必要があったので、すぐに某有名コーヒーチェーン店に再就職しました。

しかし、ここで大きな誤算があったのです。

この会社では、私があれだけ苦手とする言葉の数々を、イントネーションまで決めてあったのです。

これまで何とか言葉を誤魔化していた身としては、イントネーションを強制されたことで、自分を追い込んでしまいました。

どんどん自信を失い、ネガティブになっていってしまったのです。

さすがにこれではいけないと思い、藁にもすがる思いで精神科医を受診しました。

精神科の先生からは「なぜそうなるのか、分からない」と診断されました。

「気持ちの問題」と言われて、そのまま生活を続けることにしたのですが、やはり接客業をしていく上で「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」が言えないというのは苦痛でした。

さらに自分が店長になり、指導する立場になったとき、それが自信をなくしていく要因になってしまいました。

自分が普通にしゃべっている言葉も、自分ではないような感じになりました。

それが周囲にも伝わってしまうのか、アルバイトさんから舐められるようになってしまい、さらに自分を追い込んで、逃げるように辞めてしまいました。気付けば、また転職することになったのです。

クレーム対応が、けんかに発展

次に勤めた店舗は規模が大きく、最初の頃は隅の方で仕事をしていれば良かったのですが、やがて店長になり、店内放送をしなくてはいけない立場になりました。

店内にいる全員に聞かれるという恥ずかしさが強く、実際に何回か言葉が出てこない時がありました。

失敗すると、やる気がどんどん無くなっていくのが分かりました。

店内や電話口で「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」がうまく言えなかった時は、自分の首が締まり、呼吸ができないような感じなります。

無理矢理絞り出さなければ、声も出ない状態でした。

そうなるとすごい自己嫌悪に陥って、一日中仕事が手につかなくなってしまいました。

本当にこれはおかしいと思った私は、また違う精神科医にかかることにしました。

なぜ言葉が出ないのか原因は不明でしたが、その医者から、精神安定剤が出されました。

薬を飲み始めても全く効かなかったので、それを医者に伝えたところ、投薬量が増えました。増えれば増えるほど、どんどん体がおかしくなるような感じがしましたが、でも薬を飲むしかないのかなと思い、薬を飲み続けていました。

その頃になると、常にボーっとしていて、やる気が全くなくなり、性格がすごく攻撃的になりました。

ちょっとしたことでカッとなり、道端のガードマンを怒鳴りつけたこともあります。

自分のことがうまく言えず、言葉に自信が無い分、キレたような言い方になり、家庭では妻を傷つけました。

妻とは価値観が正反対で、しょっちゅうけんかをしていました。妻のやることなすことが、認められませんでした。

今思えば、私自身が長年、妻に症状を隠していたからかも知れませんが、肚を割って話すこともありませんでした。

お店では、相変わらず辛い日々が続いていました。

店内に出てお客様と会話するのが辛く、店内に出るのは最低限にして、できる限り倉庫で作業をするような毎日でした。

そんなある日、お客様からお店にクレームが入りました。

私が対応したのですが、言葉でうまく伝えられず、そのもどかしさもあり、怒りがだんだんエスカレートしていきました。

ついには、店内でつかみ合いのけんかになってしまい、警備員が止めに来るような騒動になってしまいました。

ふと我に返った私は、激しく落ち込みました。自分は店長なのに、従業員やお客様のいる前で、なんてことをしてしまったんだろうと思いました。

その日の帰り道は、ものすごい自己嫌悪に襲われました。

家に帰る道すがら、私は、生きている価値を見出せなくなり、刹那的に「もうどうでもええわ」という気持ちになりました。

こんなにしんどいのは、もう嫌でした。

そして帰宅後、自分の腕を刃物で切りつけたのです。

軽く切ったら、すぐに血が止まってしまったので、何回も何回も腕を傷つけました。

もう本当に、何も考えずに切りつけている感じでした。

幸いなことに、翌日の明け方に妻が気付いてくれて、私は病院に運ばれました。

その時、初めて医師から「あなたは、うつです」と告げられました。

これまで、自分がうつだったとは全く思っていませんでした。

医師からは1ヵ月休職するように言われたのですが、1ヵ月後の医師の診断は、職場への復帰は難しいということでした。

あらゆる療法を試す

しばらく仕事ができないと分かり、私はさらに落ち込みました。

それからは本当に身動きがとれなくなり、一日中寝込んでいる状態でした。数ヵ月後、私を心配して親友が訪ねてきてくれました。

その時、私はもう前の仕事に戻れないかも知れないと思っていたので、独立してまたひとりでやっていこうかと、その親友に相談したのです。

すると、親友は「お前には無理や」と言いました。

後から考えれば、それはおそらく「今のお前には無理」という意味だったと思います。

しかしその時の私は、全人格を否定されたような気持ちになってしまいました。

そして親友が帰ったその日の晩に、また腕を切ったのです。

今回は周到に準備をしたので、生死の境目をさ迷うくらいの状態になりましたが、またもや妻に発見されて、病院に運ばれました。

それからの私はもう、生きる屍みたいになってしまいました。

朝は起きられず、 一日中布団のなかにいるような状態で、もうボロボロな感じでした。

妻は、私がこんなに迷惑をかけたのに、懸命に支えてくれていました。

それから半年以上経ったある日、たまたま精神科に行く日を間違えてしまい、手元にあった薬を切らしてしまいました。

その日は実家に行っていたのですが、突然、激しく全身が痺れ始めました。

物がちょっと触れただけで、体中に電気が走るような感覚があり、さらには目のなかで、眩しい光がチカチカしたのです。

足にも力が入らず、まともに立っていられなくなった私は、すぐ近くの医者に連れていかれました。

結局原因は分かりませんでしたが、薬が切れたお蔭で、ずっとボーッとしていた頭が、正気に戻った気がしました。

もしかしたら、私はすごく恐ろしい薬を飲んでいたのではないか?

薬のせいで、うつになったんじゃないかと思ったのです。

それから私は、心の病について調べ始めました。

自律神経訓練法など、効くといわれる療法なら、なんでも試し始めました。

NLP(神経言語プログラミング)などを取り入れた時、何となく体が動き始めたと感じ、さらにヒプノセラピーや催眠療法、タッピングなども試してみました。

うつに関しては、少しずつ改善している手応えがありましたが、人生を歪ませた根本の原因である「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」が言えないというのは、治すことができませんでした。

調べていくうちに、この症状は、ある特定の場面で極度に緊張感を催し、社会生活に支障をきたすものだと分かりました。

それをSAD(社会不安障害)というのですが、この症状がある限り、またうつになる予感がしました。

一生隠し通すわけにはいかないですし、本当にこれを改善して、活き活きと生きたい。そう思いました。

素晴らしいカウンセラーとの出会い

休職して1年半後、医師から復職の許可が出ました。

会社の上司からは転職を勧められましたが、残りたいという意志で元の会社に戻りました。

その後、働いているなかで、私としてはうつがずいぶん治ってきている実感がありましたが、会社からは「君に出世の道はないからね」と宣告を受けていました。

結局、この会社には復職後4年半勤めましたが、このままこの会社に居続けるわけにもいかず、転職を決意しました。

私が次にやろうと思った仕事は、営業でした。今から思えば無茶だったのかも知れませんが、営業をすることで自分が磨かれ、心の弱い部分を鍛えられるのではないかと思ったのです。

転職先は車のディーラーでしたが、営業ではなく、総務として採用されました。

まずは希望の職種ではありませんでしたが、総務であっても販売支援で店舗に出ることが多く、電話応対もありますから、やはり心の辛い部分が出てくることがありました。

そうしたなか、素晴らしいカウンセラーの先生との出会いがありました。

その先生は、カウンセラーを始めたばかりということで、無料モニターを募集されていたのです。

何を言ってもすべて受け入れてくれる感じの先生で、安心感を持ってお話することができました。

温かい愛に溢れ、包み込んでくれ、自分の全てを認めてくれる方だったのです。

私はその先生に向かって、罵詈雑言を吐いてしまうこともありましたが、それすらも認めてくれました。

相談したことに対して「やっていることに間違いはないですよ」と、無条件ですべてを認めてくださったのです。

それに、たまに頂くアドバイスも的確でした。

「今からお父さん、お母さんにありがとうを伝えてみませんか」「瞑想するといいですよ」など、その時に必要なことをタイミング良く教えていただけました。この先生と話をするだけで、自信が湧き、癒され、本当に心が洗われるようでした。

すると会社では、電話に出るのが楽になってきました。

その頃は、まだまだ「ありがとうございます」が言えないことが結構あったのですが、それでも、言えなくても別にいいや、という風に思えました。

言えないことは、別に悪いことではない。

それでも何とか電話に出て、懸命に「ありがとうございます」を言おうとする自分を認めることができた……。それを感じられたのがとても不思議でした。

その先生のカウンセリングを受け始めて1年くらい経ったとき、たまたま購読していたメンタル系のメールマガジンで、YSメソッドの存在を知りました。

偶然にも、私が休みの日の平日に、無料の説明会があるということでした。

これも、もしかしたら自分に役立つかもしれないと思った私は、説明会に参加しました。

しかしその説明会は、正直なところ私がすでに知っていた知識が中心で、あまり意味がないものに感じました。

言葉は違いますが、心の仕組みについてなど、例のカウンセラーの先生がいつも話されていることと、同じだったのです。

その話をカウンセラーの先生にしたところ、驚くべき答えが返ってきました。YSメソッドに否定的な意見を述べた私に対して、カウンセラーの方は、私を諭すように、こう言ったのです。

「高橋さん、実は私も、YSメソッドで救われたんだよ」と。

詳しく話を聞くと、カウンセラーの先生が経験してきた人生は、壮絶そのものでした。

二度も自殺しようとした私の人生よりも、凄まじいものがありました。

「高橋さん、僕はあなたのカウンセリングを始めた時に、あなたはいずれYSメソッドに出会うだろうと、何となく分かっていたんだ。でも、高橋さんの性格からすると、出会ったときに、すごく拒否反応を示すのは分かっていた。だから、出会ったその時に、背中を押してあげようと、ずっと見守っていたんだ」と仰いました。

それを聞いた私は、本来1カ月の無料モニターだったはずなのに1年間も、何も言わず待っていて下さったことに、とても感動しました。

そして、これは本当にYSメソッドに行かなければいけない、そう思ったのです。

SADが、治った!

YSメソッドの受診は、本当の自分である「集合的無意識」を体感するもので、それは二日間に亘りました。

その二日間で、私は今まで体験したことがないような、本当に心が洗われるような体験をしました。

YSメソッドでは、何種類かのワークを行い、カウンセラーと会話していくのですが、本当の自分を自覚することで、今までのトラウマがすべて消えていくような、すべてから解放されたような体感があったのです。

私は、自分でも気付かないうちに、ドロドロした感情を抑え込んでいたのだと分かりました。

その時は、母への想いを掘り起こすようにワークをしていました。すると、本当に感謝の気持ちが止まらなくなって、一人になってからも一晩中泣いていました。

蓋がはずれ、愛が溢れると、こんなにも気持ちがいいのかと、初めて知りました。あれほど苦しんだ「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」が言えなかった状況など、本当は無かったんじゃないかと思えるくらいでした。

そして次の日、会社に出勤した時のことです。

机の上の電話が鳴りましたが、何とも思わなくなっている自分がいました。これまでは、電話のベルの音を聞くだけで、心臓がドキドキしていたのです。

電話に出られるかも知れないと思い、受話器を取りました。すると、普通に「ありがとうございます」が言えたのです。

私は、これで治ったと確信しました。今までどんなことをやっても治らなかった言葉の症状が、たった二日の受診で完全に治ったんです。

そのことに、すごく驚きました。うつになり、自殺未遂までするくらい悩んでいたのですから、自分でも信じられませんでした。

その後の私はもう、電話で「ありがとうございます」が言えないことは無くなり、うつ再発の不安も消し飛びました。気がつけば、「ありがとうございます」が言えなくなってから、27年の月日が経っていました。

それは本当に良かったのですが、だんだんと問題も起こっていました。

これまで心を押し込めていた反動だと思うのですが、家庭でも会社でも、相手の気持ちを考えないで、感情が溢れだすまま、抑え込むことなく、言いたいことを言うようになってしまったのです。

自分にとってそれは、気持ちのいい状態でした。

しかし、相手はたまらなかったでしょう。

妻とは家庭内別居状態になり、子どもには感情のまま当たり散らし、会社では社長と意見が対立して、険悪な関係になってしまいました。

YSメソッドを受けた時は、あれほど親に感謝できたのに、近くの人間関係がこじれてしまうのは、何かがおかしいと思いました。

あの全てを受け入れ、認めてくれたカウンセラーの先生に、初めて「君は大いに勘違いをしている。

そんなことのために、YSメソッドの治療を受けたんじゃないだろ!」と、真剣に怒られた瞬間でもありました。

このまま行けば、自分は本当に嫌なやつになってしまう。そう感じた私は、再びYSメソッドを受診することにしました。

その時、YSメソッドのカウンセラーに指摘されたのは、私の隠れた感情についてでした。

「高橋さん、自分自身では気付いていらっしゃらないですが、あなたはずいぶんお母さんとのわだかまりがありますね。これからは、お母さんの悪口を紙に書いてください」と言われたのです。

それからしばらく、ずっと悪口を書いていたのですが、不思議なことに母への悪口が、いつの間にか自分が求めていた愛だと感じてきたのです。すると、母への感謝が湧いてきて、涙が止まらなくなりました。

溢れる感謝

その後、落ち着いた私は、野菜ジュースとツナのサンドイッチを口にしました。

まずは野菜ジュースを飲んだのですが、ひと口飲んだ時、ものすごいことが起こりました。

これほどおいしいものを口にしたことがない! というくらいおいしい野菜ジュースで、感動した私は涙が止まらなくなったのです。

こんなにおいしい野菜ジュースを作るために、農家の方が丹精込めて、野菜と果物を育ててくださったんだ。

そう思うと、さらに涙がとめどなく流れてきました。

野菜ジュースを作ったメーカーさんが無ければ、私の手元には来ていないですし、パッケージが作られ、配送し、販売する人たちもいます。

その事実はものすごい衝撃で、本当に泣けました。

自分は、今までひとりで生きてきたと思っていました。

しかし、そうではなかったのです。私は全く勘違いしていたのです。

たかが野菜ジュースかも知れませんが、どれだけたくさんの人に自分は支えられ、生きてきたのか。そう思うと、ますます涙が止まらなくなりました。

サンドイッチも、びっくりするほどおいしかったです。

このツナサンドにしても、朝早くからパンを焼いてくださった人や、海でマグロを獲ってくれた漁師さんがいてくれたからこそ、食べることができることに気付かされました。

私は、当たり前のように生きてきましたが、当たり前ではなかったのです。

本当に、今自分が生きているのは、奇跡なのだと思いました。

すると、両親への感謝が思い浮かんできました。

その心のまま、お爺ちゃん、お婆ちゃん、さらにはその両親、そしてご先祖様へと、生命の繋がりを逆にたどっていきました。

突然〝命のバトン〟という言葉が、頭に浮かびました。

今まで生きてきて、一度も考えたこともない言葉が出てきたので驚きましたが、誰ひとりとして命のバトンを落とさずにいてくれたから、今自分がここにいるんだと、そう思えました。

私のイメージは、さらに過去へと繋がっていきました。

人間が人間に進化する前の哺乳類になり、さらには両生類になり、魚になり……。ふと気がついたら、自分が暖かい海のなかにいました。

上からは太陽の光がキラキラと降り注ぎ、まるで母のお腹のなかにいるような、そんな感覚です。

その時、私は心のなかで「あっ!」と声を上げました。

自分は命としてひとつだったということと、地球から生まれた、地球としてひとつなんだということに気がついたのです。

命と地球は、ひとつでした。

命はひとつ、皆他人ではないんだ、皆に支えられて生きてるんだと、さらに感謝の気持ちが湧いていきました。

執着を捨て、さらに快調に

受診を終えた帰り道では、周りの人が他人とは思えず、すれ違う人全員に、ありがとう、ありがとうという気持ちが出てきました。

帰宅して妻の顔を見たとき、私は妻への接し方を、根本から変えなくてはいけないと思いました。

まずは、妻に対する感謝の気持ちを綴った紙を渡しました。

その行動は気味悪るがられて、受け入れてはもらえませんでした。

しかし、妻の態度はすぐに変化していきました。

それまでは食事も別々だったのが、同じテーブルで食事してくれるようになり、買い物なども一緒に行ってくれるようになったのです。

私には、本当の意味で、集合的無意識という命に対する確信が生まれていました。

これまでは、感謝が足りなかったのです。

ありがとう、と思ってはいても、心の底からの、本当の感謝ではなかったのでしょう。

だから「ありがとうございます」の言葉が出なかったのだと感じました。

また、「ありがとうございます」が言えないという現象に、自分自身が執着していたことにも気付かされました。

その現象を、例えば転職する時の言い訳にしていた可能性もあります。

確かにこれまで、言葉が出ないのが辛くて転職してきたのですが、逆から見れば、だから辞められたのだとも言えます。

ある意味、病気をうまい具合に使っていたのかも知れません。

病の時には気付けませんでしたが、それに気付いた瞬間、執着を捨てることができました。

すると、自分の心と体が繋がったような気がして、生まれ変わったような感覚になり、さらに快調になっていきました。

その後、私は縁あって出版社へと転職しました。

ある意味、出版社はお客様の人生にかかわる情報を、商品として扱っているとも言えます。

私は集合的無意識を自覚したことで、本当にいい商品とは何か、命の価値を高める商品とは何かを見極める目が養われました。

その視点で、本当にお客様にとって必要な商品を自ら会社へ提案して、それが実際に映像ソフトとして発売されるまでになりました。

これからは、その商品が足がかりとなって、新規ビジネスも立ち上がっていきます。

ずっと遠回りして、壁にぶつかり、自分ではない生き方をしてきました。

それは苦しかったですが、病気が治ったことはもちろん、今は生きる道が明確に分かっているのが本当に嬉しいです。

仕事を通じ、周りの人を笑顔にして、光輝かせて幸せにしていくのが、自分の役割です。

そう思えて、実行している私自身が、幸せでしょうがないのです。

本当の自分である集合的無意識は、愛そのものです。私は、集合的無意識を自覚することで、第二の人生をもらったと思っています。その意味で、YSメソッドは、命をくれた母親です。

これまでご縁を頂いた家族、会社の方々、お客様などすべての方々に、「ありがとうございます」と心からの感謝を込めて、毎日を送っています。

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