YSメソッド実証例
病弱に加え、うつ発症! 無理心中の一歩手前から、愛と元気溢れる人生へ急上昇!

澤本紘子(仮名・49)

妊娠・体調不良から、うつ状態に

私には、二人の娘がいます。私は元々体が丈夫ではなく、次女がお腹の中にいる頃から、ものすごく体調が悪かったのです。

妊娠後期は特にひどくて、生むのが早いか、心臓が止まるのが早いかというぐらいでした。つわりもひどくて、物も食べられず、こんな状態で、元気な子が生まれるかとても心配でしたが、次女は無事に元気に生まれてきてくれました。

その時、長女は4才で、ちょうど風邪をひいていました。その看病が大変だったせいか私にも風邪がうつり、ものすごい咳がずっと続き、猛烈にのどが痛い状態が10ヵ月も続きました。

その間、体もものすごくだるかったため、漢方薬を飲むようになりました。幸い漢方薬で、のどの痛みは治まったのですが、経済的に大きな負担になり、体のだるさはひどくなる一方でした。

「このまま良くならずにお金が無くなったら、どうしよう。もっとひどくなって寝たきりになったら、子どもの面倒も見れないし、将来親の面倒も見れない。私は、なんて情けないやつなんだ」と、心の負担が増した私は、うつになっていました。

そんな状態でも、次女に母乳をあげている時だけが、体の辛さを忘れられる安らぎの時でした。

そんな次女に、私はずっと感謝の気持ちがありました。全然手のかからない子で、私の具合がこんなに悪いから、私を助けてくれているんだと思っていました。

長女に対しては、ちょっと違いました。長女の性格は、主人に似ています。

主人は、自己中心的で変わった人だなと思っていました。主人の性格が理解できなかった私は、長女のことも理解できず、いつも長女にいらいらして怒ってばかりいました。

それに、長女に風邪をうつされたせいで、こんなに具合が悪くなり、辛い状態になったのだと、心の中に長女を責める気持ちがありました。

その頃の私は、いつも体がものすごくだるく、しょっちゅうひどい風邪をひいていました。一回風邪をひくと、1ヵ月は、咳が止まらないのです。

主人はそんな私を見て、どうしてそんなに具合が悪くなるのか理解できなかったのでしょう。

「なんでいつも具合が悪いんだ。俺だって迷惑なんだ、子どもたちも可哀想だ」と冷たくされ、「何でわかってくれないんだろう」と、とても悲しくて辛い思いをしていました。

体調が悪い日々が続いた私は、「こんな体で、自分はなんて情けない人間だろう」と、絶望していました。

主人や子どもたち、母や義母はもちろん、友人など、たくさんの人に迷惑をかけていると思っていたので、自分のなかで人から責められているという気持ちを、どんどん大きくしていました。

すると、今度はその気持ちが自分を責める方向に行ってしまい、生きていてもしょうがないと思うようになったのです。

そんな私は、次女を乗せたベビーカーを押しながら、信号も見ずに道路を渡るようになっていました。
トラックに轢かれて死ねたら、どんなに楽だろう。そう思っていたのです。

旅行先のホテルで、両親の愛に気付く

そんな時、たまたま私の両親と兄家族が、サイパンへ旅行に行くことになり、私はもう自分はいつ死ぬかも分からないので、最後の思い出作りにと、わがままを言って子どもたちと自分も、一緒に旅行に連れて行ってもらうことにしました。

両親は、具合の悪い私のことをとても心配していてくれて、旅先のホテルで、「いつも子どもの世話や、旦那さんや、あちらのご両親に気を遣って大変だろうから、子どもの面倒は私たちに任せてゆっくりしなさい。

お父さんとお母さんにとって、おまえは嫁に行っても大事な可愛い娘だからね」と言ってくれました。

私はこれまで、母からはそんなに愛されていないと思っていたのです。

ところが、その母が父と一緒に「本当に大事な娘なんだよ」と言ってくれたのです。

その言葉に私は、親の深い愛を感じ「ああ、私はこんなに親から愛されていたのなら、私も子どもたちのためにがんばって生きなきゃ」と思え、うつ状態から目の前が開けたのを感じました。

そこからはもうそれこそ死ぬ気で、何でもいいからとにかく元気になろうと思い、子どもを抱えながら、どんどん外に行くようにしました。

子どもが幼稚園に入ったのをきっかけに、人の役に立ちたいと、資格を取ってホームヘルパーの仕事を始めました。

体も鍛えなくてはと、太極拳も始めました。がんばって続けて、いつか指導者になって皆さんも元気にしたいと思いました。

でも、がんばってもがんばっても疲れてしまい、全然だめでした。太極拳の練習中も、立っていることさえ辛く、朦朧と練習しているような状態でした。

辛いなか、仕事をしながら、子どもの幼稚園の役員も、小学校の役員も、マンションの理事もやりました。一生懸命やっているのに、体がついてこない。そんな自分を責めていました。

こんな体で、私は一体どうしたらいいんだろう? 自分の使命は何なのだろう?

という問いが、いつも頭をめぐりました。

私は、自分の子どもたちには「あなたはあなたらしく、そのままでいいんだよ」といつも言っていました。

私は「桜梅桃李(おうばいとうり)」を座右の銘にしていました。

これは、「桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく……」つまり、自分は自分らしく生きればいいという意味の言葉で、私が一番辛い時、知り合いの方が私に言ってくれて、とても救われた言葉です。

でも内心、長女のことは「この子は変わってるな。なんでこういう子なんだろう?」と思っていました。

長女と大げんかした時、「あなたはいったい私にどうしてほしいの?」と聞くと、「とにかく放っといてほしい。放っといてくれるのが一番だ」と言われました。

そんなやりとりを見て、主人は「人はみんな自由なんだよ。

自由だから、人のことを干渉しちゃいけないんだ」と言っていました。

そんな主人の言葉の意味を、そのときの私は理解することができませんでした。

YSメソッドとの出会い

そんなある日、私は同じマンションに住む隣人から、YSメソッドのことを聞きました。

その人は、東洋医学の治療師をされていて、具合が悪かった私は、以前からその方の治療を受けていました。

その方も、いろいろな療法を追求されてきたのですが、YSメソッドでは、本当の自分である「集合的無意識」を自覚すると、心身が健康になって、使命までも分かるというのです。

私は体調を良くしたいのはもちろんでしたが、一番知りたかったのは自分の使命でした。

こんなに人の役に立ちたいとがんばっているのに、体がいうことを聞いてくれない。

一体自分は何のために生まれてきたのか、自分の使命は何なのか? その謎が解きたくて、YSメソッドを受けることにしたのです。

YSメソッドでは、二日間かけて、カウンセリングやワークを繰り返しました。

カウンセラーは、自分自身の心を探る方法を教えてくれたり、時には肉親になりかわって、語りかけてくれました。

そういったことを繰り返していたある時のことです。

「私は両親からこんなにも愛されていたのか!それなのに感謝が足りなかった、ごめんなさい」という気持ちと同時に、想像もできないくらいの深い強烈な感謝の念が溢れてきて、ただただ号泣するばかりでした。

私が、母からあまり愛されていなかったというわだかまりの気持ちは、完全に私の勘違いだったのです。

これが本当の自分である、集合的無意識の体感でした。

私は、両親や周りの人から、本当に愛されていたのです。

自分の体のことを、弱くてすごく情けない体だと思っていましたが、実はそのことで周りの人たちからいつも助けられ、可愛がられてきたのです。

自分の体は、元気いっぱいの人よりも、何倍もみんなから愛されてきた、本当はとてもありがたい体だったんだという事実に、やっと気がつきました。

今まで私は「人の役に立たないとだめなんだ」、「人を愛さないとだめなんだ」と思ってきましたが、人から愛されるということは、人から愛を引き出していることなのです。

人のために何かできた時って、すごく幸せな気持ちになりますよね。

その幸せを周りの人たちに感じてもらうために、私の体は弱かったのです。

病弱なのは、ちっとも悪いことじゃなかったのです。私は、人に何かをしてもらうことで、自分の愛を出していたんだということに気が付きました。

そもそも、私の体の具合が悪くなったのは、母に対する愛の不足感から、他人への依存心が強かったからだと思います。

母から充分に与えられなかったと思っていた愛を、いつも周りの人たちに「くれくれ」と言っていたのです。

自分からも、愛を出していかなくちゃいけなかったのに、愛をもらうことしか考えていませんでした。それで結局、自分を追いつめていたのです。

みんないい人としか思えない!

YSメソッドを受診してからは、寝込むようなことはほとんど無くなりました。心が軽くなって、家族関係がものすごく変わりました。

次女の妊娠中と産後に、ずっと体調が悪かったお蔭で、私は集合的無意識に出会えたのだと思います。

だから私は、集合的無意識に導いてくれた次女のことをとても偉大な存在だと感じるのです。

それに長女は、なぜいつも私の言うことを聞いてくれないのだろう、と思っていましたが、集合的無意識と出会ったことで、実は長女は何も悪くなく、私が長女のことを自分の型にはめようとしていたので、すごく反抗していただけだったということが分かりました。

長女は、悪者のふりをして、私の愛を一生懸命引き出そうとしてくれていたのです。

「お母さん、ありのままの私を愛してよ」と言ってくれていたのです。そんな長女を責めてしまったことが、本当に申し訳なく思いました。

以前、主人が「人はみんな自由なんだよ」と言っていた意味が、ようやく分かりました。

人は自由に生きるために生まれてきて、そして自由にさせてあげることで、その人の良さが引き出されてくるんですね。

だから今は極力、長女も次女も放っておくように、一生懸命努力しています。

私は、人のいいところを自然と探すことが、当たり前になっていきました。

そうすると、本当にすごくいい人に見えてきちゃうのです。

しかし、いいところを見つけるのが一番難しかったのが、主人でした。

私が本当に具合の悪かった頃、冷たい態度をとられて、それがものすごく恨みになっていたからです。

そんな時、私は久しぶりにひどい風邪をひきました。すると主人が「なんでそんなひどい風邪を引くの?

俺には信じられないんだけど、わざとやってるのかと思う」と、信じられないことを言ったのです。

私の怒りは爆発しました。

「あなたはいつもそうやって私を責める!前に具合が悪くて、私がずっと寝たきりになっていた時も、あなたはずっとそうだった!私がどれだけ辛かったか、どれだけ悲しかったか分かる?私はね、下の子を道連れに、死にたいとまで思っていたんだよ!」と叫びながら号泣しました。

すると私の心のなかから声が聞こえてきました。

「もういいよ、言えてよかったね」と。

主人は、「そんなに辛かったなんて知らなかった。悪かった」と言って、深々と謝ってくれました。

「ああ、分かってもらえてよかった」と思った時、主人に対するトラウマとなっていた、憎しみが消えました。

自分を責める必要はなかった

そういうことがあって、私はものすごく幸せになることができました。

そして、人に感謝していくことで、自分の体が元気になっていく……。そう思っていましたが、体はなかなか普通の人のようには動きませんでした。

「なんで私は、人の愛にこんなに気付いたのに、体は元気にならないんだろう。もう嫌だ、こんな体」と、また自分を責めるようになっていたのです。

その後、間を置かずYSメソッドを受けた私は、ワークを進めるなかで「人のためにこうしたい、ああしたい」、「自分はこうなりたい、ああなりたい」ということをいっぱい書いていました。

すると突然、何故だかわからないけれど、猛烈に悲しくなって、号泣してしまったのです。

「どうして私は、こんなに泣いているのだろう」そう考えた時、「そうか! 私の奥底にある本当の自分が、私にありのままの自分を認めてもらえなくて、ものすごく悲しくて泣いているんだ」ということに気が付きました。

私は子どもの頃から、弱い体でもずっとがんばって努力してきました。

そんな自分を認めて、ほめてあげなくてはいけないのは自分自身だったのに、私はがんばっている自分を少しも認めて、ほめてあげていなかったのです。

それどころか、ありままの自分を否定して、自分の理想や願望ばかりを追っていたのです。

そのことで、自分自身の体を苦しめていたという事実に気が付き、愕然となりました。

自分は、ありのままの自分で良かったんだ。答えは、まさに「桜梅桃李」でした。そう思ったら、肩の荷が下りるのを感じました

それからは、もう少し自分に楽をさせてあげようと思いました。

仕事の量も減らして、辛い時は無理せず休むようにしたら、体も心も楽になっていきました。

そうすると不思議なもので、すごく辛かった太極拳の練習も、だんだんと体力がついてきて、楽しくできるようになっていったのです。

今思うと変なのですが、私はいつも、人と自分を比べていたのです。

それも、比べる相手が普通の人ではなく、「体力に自信があって、毎日三時間位しか寝なくても平気」っていう人になりたかったのです。

しかも、あれもこれも全部、目一杯やっている人なんていないのに、自分はやらなきゃいけないと思い込んでいました。

それができない自分を、ずっと責めていたのです。

私は、自分を責める心が、人をうつにすると思います。でも、本当の自分を自覚することで、自分を責める必要はないということがよく分かりました。

それに気付くことができたので、この先、どんな状況に遭っても、うつには戻らないと思います。

それは、「自分はいつもがんばっているな」と認めることができるようになったからです。

もっと、ありのままの自分を認めて、愛してあげなくちゃいけないということを、集合的無意識は教えてくれました。

そして、どんなに小さなことでも、がんばっていると認めてあげることの大事さが、よく分かりました。

私は、ずっと自分を叱咤激励しながら、体にむち打って「がんばれ、がんばれ」とやってきました。

でも、そんなやり方では、絶対どこかで限界がくるはずです。

ホームヘルパーの仕事にしても、前は目一杯がんばり、疲れて、ただ作業をこなしているような感じでした。

誠心誠意、心を込めたお仕事ができていなかったのです。

でも無理せず件数を減らして、一人ひとりの利用者様に、誠心誠意のケアができるようになり、自分としては満足しています。

こういった余裕のある仕事ができるのも、主人が生活を支えてくれているからです。

むしろ目いっぱい働けないことで、主人に感謝もできています。

それに、私に娘二人の命をくれたのも、主人なのです。

その事実に気が付いた時、生活を支えてもらっていることとは桁違いの、次元の違う、揺るぎようのない感謝が出てきました。

その時、私は「ああ、主人は宇宙ぐらい大きな愛を私にくれていたんだな」と、初めて思いました。

すると、だんだん主人が「変わった人」ではなく、「人と違った発想ができる、すごい人」に見えるようになりました。

自己中心的なのは、自分を貫き通す意志があるということです。

人からどう思われようが、自分を貫き通すなんて、なかなかできないことじゃないですか。すごい、この人、集合的無意識のままに生きているんだなと思いました。まぁ、時には頭にくることもありますが……。

体力が人並み以上に!

今の私は、みんなと同じ行動ができるようになって、周りの人たちは「本当に体力ついたよね、良かったね」と言ってくれています。

たぶん、同年代のなかでは、平均よりも体力があるのではないでしょうか。

集合的無意識を自覚していくと、今、体力が下がりつつある人も、これから上げていくことは充分にできると思います。

私の場合、楽しいことをやり、マイペースで、無理しすぎないことが、本当に大切でした。

それに、つい最近、太極拳の指導者になることができたのです。

太極拳を始めてから11年以上経ちましたが、最初の頃は、立っているのもつらかったことを思うと、夢が叶って自分でもびっくりです。

死ぬ前にと行ったサイパンのホテルで、私は両親からの愛に気が付きました。

その感覚をずっと強烈にしたのが、YSメソッドでの体験です。

私が今、こうして幸せなのも、両親を始め、命を繋いでくれたご先祖様たちの、愛と努力があったからだと、感謝の気持ちでいっぱいです。

両親やご先祖様、子どもたち、そして多くの人たちから愛をもらっていました。

この世界に存在する全てのものはひとつであり、私は、そのすべての存在から祝福されて生きています。

そして、自分のなかには自分を本当に心から愛し、応援してくれている集合的無意識があることが分かりました。

私にとって、自分の辛い経験が、一番の宝物です。

死にたいとまで思っていましたが、その経験があったから、本当の自分である集合的無意識に出会うことができたのです。

そして集合的無意識に出会えたことで、私は自分の使命にも気付くことができました。

私の使命とは、自分に与えられた人生を精一杯生きるために、毎日を一生懸命に生きていくことだと思います。

毎日、自分の周りにいる人に最大の愛を出していく。

そして、自分の人生が少しでも素晴らしいものになるよう、努力をしていくことが、自分の使命なのだと思います。

私の体は、ちっとも情けなくなんかなく、とてもありがたい体でした。

これからの私は、愛を出していくことで、自分が弱い体であるという考えも、自分の限界も捨てて、さらに元気になっていける。そんな気がしています。

トップページへ戻る