うつ・引きこもりで窮した、自責・他責の心から一転! 人生の活路を大発見!

前田輝之(仮名・25)

冷え切った人間関係

18才で高校を卒業した私は、製造業に身を置きました。

私は男ばかり、4人兄弟の末っ子で、兄たちは専門学校などを出ていましたが、両親に負担をかけることを考えると、進学しようとは思いませんでした。

昔から言いたいことも言えず、本音や本心を抑え込み、ストレスも溜め込んで、どこかでそのまま落ち込むような性格でした。

学校で一番早く内定をもらい、社会に出ることへの不安はありませんでした。

会社までは、車で40分かけて通勤していました。会社の先輩やリーダーはよくしてくれましたが、会社の雰囲気は全体的に暗く、あまり馴染めませんでした。

人はたくさんいたのですが、朝、大勢の同僚たちに会っても、限られた人たちとしか挨拶をせず、冷え切ったような人間関係に感じられました。人間よりも、機械と向き合うという雰囲気だったのです。

私は、会社の人たちと、普通に仕事の話でもできればいいなと思っていました。

同期は30人位いましたが、そのことを話せる人はいませんでした。人と人との関わりをあまり感じないまま、半年ほどが過ぎた頃、だんだん細かいことが、心に溜まってきているのが分かりました。

そんななか、私は会社である損失を出してしまいました。それからは直属のリーダーと、その上の管理職との、板ばさみ状態で仕事を進めなくてはいけなくなりました。

この二人は元々仲が良くなく、私が出した損失に対して、全く違う見解を持っていました。それから二人は直接話さなくなり、どんな些細なやりとりでも、私を通して行われるようになったのです。

責任の所在も分からぬまま、リーダーの話を聞いて、管理職の話を聞いてということを繰り返すうちに、間に入るのがだんだん嫌になっていきました。

それに、同期のまとめ役だった人も、その役割に積極的ではありませんでした。それを見て、私は「自分がやらなきゃいけないのかな」と、責任を感じてしまいました。

「いろいろ責任ばっかり多いな」と思いながら会社に行っていたのですが、だんだん、朝、布団から出ることが辛くなっていきました。


一歩も動けず、会社に行けない!

ある雪の日のことです。「ああ、今日も会社に行かなきゃいけないのか」と思いながら、私は車を運転して、会社へと向かっていました。

会社の近くには、コンビニがあります。私はそこで、少し休憩していくことにしました。

コンビニの駐車場に車を停めて、シートに身を沈めた私は、窓の外を眺めました。目と鼻の先には、これから行かなくてはならない会社が見えます。会社を眺めているうちに、なぜかぼろぼろと涙が出てきました。

「そろそろ行かなくては」と頭では分かっていても、そこから先へ一歩も進むことができないのです。そんなに自分は行きたくないんだなと思い、また、なぜ動けないのかと自問自答し、泣きました。

それから1週間ほど、まともに会社に行けなかった私は、会社から「とりあえず3ヵ月休みなよ」と言われ、休職することにしました。同時に病院にも行ったところ、うつと診断されました。

休職となり、少しは気が晴れましたが、それだけでは収まりませんでした。
「何で自分はできないのか、何で生まれてきたのか」と、自分を責める気持ちが出てきたのです。

今まで生きてきた状況を振り返り、「あの時、こうしたのがいけなかった」とか、「もう少しよく考えればよかった」と、全て悪い方に見ていました。

自分のいろいろなものを否定した矛先は、やがて親兄弟に向かっていきました。

「何で自分を生んだんだ」、「あのとき何でこうしてくれなかったんだ」と、相手に求める気持ちがものすごく出てきたのです。

3ヵ月ほど経ち、職場に復帰してからも、私の居場所はありませんでした。周りとギクシャクし、敵だらけに思えて、家族にも友人にも、誰にもまともに話さず退職しました。

それからバイトをしても長続きせず、父親からはカウンセリングなどを勧められました。

父の会社に、産業カウンセラーの方がいたのです。それから半年ぐらい、週に1回カウンセラーと会って、話をしました。

話をすると、かなりの量の気付きがありました。その時の気付きは、今でも全部ノートにとってあります。でも、うつを治す決定打にはならなかったのです。

カウンセリングは、一つひとつの問題に対して、一つひとつ向き合っていくという形でした。

この方法ですと、時間がかかりますし、自分の根本的な原因、要因がどこにあるのかを見ていくと、おそらく半年でも足りないだろうなと、最初から思っていました。

ですので、この時はそれほど期待せず、話をしていた感じがありました。


自分の周りに、高い壁を築く

最初の会社を辞めてから5年ほど、ほぼ何もせず、全てを責め続けました。信用できるものは何もない、生きたくもないし、死にたくもありませんでした。

病院に行くことはやめてしまい、ずっとうつ状態が続いていました。

以前の私は、漠然とですが、「本当に大切なものはある、愛とかそういったものはある」と思っていました。

しかしこの時には、愛の存在を探してきた心さえ捨て、愛などないとさえ思い、引きこもっていました。

徹底的に自分の心を痛めつけ、他人を責め、常に自分の心の周りに高い壁を築いていました。

この壁は、卵の殻をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。自分が殻のなかにいて、自分の肯定的な部分や、自分以外のものが全て外にあるんです。

否定以外を殻の外に出して、他の「いいこと」と呼ばれているものを、全部シャットアウトしていたんです。

人からは「あれやってみたら? こうしてみたら?」とアドバイスをもらったこともありますし、自分のなかからも、「これをやったらいいんじゃないか?」という思いが湧いてくることがありました。

しかし、それをやってしまうと、自分がとても惨めなものなってしまうと思っていました。

そういった、ポジティブなものを受け付けないように、壁を作って、崩れたところをまた直して、とやっていたのです。

そんななか、母が、YSメソッドのカウンセラーが書いた本を見つけてきてくれました。最初は机に置いたままでしたが、ふと読み始めると、涙が出ました。

その本は、自分の表現したかったことや、言いたかったことを、ちゃんと言葉や絵にしてくれている感じがしたのです。

YSメソッドに興味が湧いた私は、「じゃあ、これからどうすればいいんだろう?」と思い始め、行動を開始しました。それから数日後、私は東京に単身赴任している父のもとに来て、受診したのです。


生きていることが嬉しい!

YSメソッドは、カウンセラーによる対話と、いろいろなワークをすることで、本当の自分である「集合的無意識」を自覚することができます。

集合的無意識とは、愛そのものの自分です。その本当の自分である集合的無意識に出会って、私は生きていることの嬉しさに、ぼろぼろ泣きました。

特に、家族への感謝が溢れてきたことが、とても良かったです。素直に「両親が産んでくれて良かった」、「兄弟がいて良かった」と思えました。

その後からは、「あ、楽しいな」という気持ちが溢れてきたのです。今日、ここに至るまでは、何年間もほぼ人と関わらない生活でした。

それが、本当の自分と出会ったことで、人と関わる楽しさや喜びを思い出したのだと思います。

これまでの私は、人ごみが嫌いでした。歩いていると肩がぶつかってしまうのです。

でも、受診後の帰り道は違いました。あれほど人ごみが嫌いだったはずなのに、街を歩く人と誰ともぶつかりませんでした。しかも、一人ひとりをしっかり見ることができていたのです。

私にとって、人ごみが人ごみではなくなって、そこに立ち止まってゆっくりと眺められるほどに、人の温かさを感じました。

そして、今まで責め続け、煩わしかった人や、物や、事のほうが、逆にとてつもなく愛しく感じていたのです。

この時点で、私は既にうつではなくなっていました。うつだったことが、逆にありがたく、愛しく感じたほどでした。

受診後は、両親に感謝の言葉を電話ですぐに伝え、数日後には、兄たちに私の何が変わったのかを説明していました。

私はやっと、うつだった自分を振り返ることができました。「あ、うつだった」と、客観的な視点から思えたのです。

人から「あなたはうつだ」と言われ、「自分はきっとうつなんだろうな」と思いながら過ごしているうちは、自分が本当にうつだとは、なかなか気付けないのではないでしょうか。

それからの私は、今まで自分の内側に向き、閉じていた心のベクトルが、180度外に向いていることを実感していました。

それはこれまでにない感覚で、嬉しいものでしたが、しかし同時に、モヤモヤしたものも感じていました。
「本当の喜びって、何だろう?」という疑問が生まれていたのです。それが、自分のなかでの新たな欲求でした。

「さらに次のステップへ行きたい」という気持ちが強まってきたと感じた私は、2週間後に再び、YSメソッドを受診しました。

受診中、愛や感謝を放つことで喜びがあると感じ、こみ上げてくる感情に嬉しくなって、ひとりでに笑みを浮かべていました。

そして、今回の受診で、自分の心がモヤモヤしていた理由がはっきり分かったのです。私は、外向きのベクトルで放つエネルギーの、行き場が分からずにいたことに、モヤモヤしていたのです。

この2週間、「何かしたい」という、漠然とした勢いだけがありました。それは自分の進む道がハッキリしないことにつながっていたようで、どこかにエネルギーをぶつけたいような感覚がすごくあったのです。

それを向ける先がさっぱり分からず、それでずっとくすぶっていたのでした。

今回の診療が終わりに近づいた頃、なぜか「これから何かある」という直感が働きました。

すると、YSメソッドの施設を出た瞬間に、家族から連絡が入ったのです。

東京にいる兄三人と兄嫁二人、そして甥っ子一人と、気がつけば父も後から合流して、地元にいる母以外、皆で夕食に行きました。

家族皆が集まることなど、普段、年に数回もないことなのです。この時ばかりは、本当に頬がひきつるほど顔に笑みが浮かびました。

この不思議な現象への驚きと、あまりの嬉しさで、その夜は布団に入っても眠れませんでした。

これは、本当に何かが変わったとしか言わざるを得ません。素直に、「愛と感謝を実践できている」、「今に生きている」証として受け止めました。


大嫌いな他人が、大好きに

それからの私は、誰かと話したくてウズウズしていました。

以前は他人が大嫌い、自分も含めて大嫌いだったあの時から、逆に人が大好きになっていました。今では、他人が他人と思えないほどになっています。

その後の私は、なんだかカウンセラーと同じようなことがしたくなってきました。カウンセラーの音声が入ったCDを聞いて、自分にもできるんじゃないかと思ったのです。

少しおこがましいような気もしたのですが、例えば、人と向き合ったときに、その人の思いを引き出す手伝いができるかも知れない。そう思いました。

私の兄は、YSメソッドを受診してはいませんでしたが、興味は持っていたようでした。

「じゃあ、ちょっと話をしてみよう」と思った私は、カウンセラーの立場になって、集合的無意識の心で、自分にも気付きを与えてくれるものを持っていてくれてありがとう、という姿勢で、兄の話を聞きました。

私がポイントだと思っていたのは、兄が言ってることをそのまま返すことでした。

また、話を聞かせてもらっているという感謝を伝えることぐらいしかしていなかったのですが、兄は、私と話した時だけ「すごく腑に落ちるものが多い」と言うんです。

もしかすると、兄弟だからというのも加味されているとは思いますが、意外な結果に驚きました。

その後、私の彼女にも同じような感覚で話をしてみました。彼女は保育士なのですが、職場の雰囲気がすごく悪いらしいのです。

イライラすることが多くて、人とよく衝突すると言うんですね。

それが、私と話をしてから、職場での問題が一切無くなったと言い出したんです。

さらには、生活も少し何かが変わってきたらしく、それですごく感謝されたのですが、このことも大きな衝撃でした。

「じゃあ、次は友人にもやってみよう」と思った私は、友人と話をしてみました。私にとっては、ただ単に話をしているだけなのに、友人の求めている答えが、友人自身から出てくることがよくあったのです。

友人の何人かと話してみましたが、私は本人の言葉をそのまま返すだけなので、何か特別なことをしたという感覚はありません。

敢えて言えば、相手の話を聞いて、質問して、ちょっと言い方を変えて言ってあげる。それぐらいのことしかしていないのです。

でも、それだけで相手の生活に変化があったことには驚かされました。「良かったよ」と、お礼をよく言われたのですが、少しずつ、それが私の喜びになりました。


今に生きることの先に、役割がある

私は、昔から言いたいことも言えず、本音や本心を抑え込み、ストレスを溜め込んでいました。言いたいことを、言いたいように言っていたら、もう少し楽な自分だったかも知れません。

それに、たぶん周りの人も、楽だったんじゃないかと思います。

以前の自分は、言いたいことを言ってしまうと、人間関係が悪くなってしまうと思っていました。

今は逆に、言わないよりは言ったほうがいいなという考えに、だんだんシフトしていきました。

もし、YSメソッドを受診していなかったら、私の考えは変わっていなかったでしょう。「自分が抑え込んでさえいればいい」、そう思ってきましたから。

私は、素直じゃありませんでした。本当は求めていたのに、なぜか逆を向いてしまっていたのです。集合的無意識を自覚する前は、自分が素直じゃないことに、気付くことができないのです。

今の私は、生まれてきた事実や、心からの楽しみ、喜びを、良いこととして素直に受け入れられるようになりました。

とは言え、自分を抑え込み、うつの時期があったことは、別に悪いことじゃないと思っています。

何故なら、そういった時期があったから、集合的無意識で生きる喜びを知ることができたからです。

YSメソッドを受診した私は、うつから脱し、モヤモヤすることも無くなりました。モヤモヤが無くなったのは、今は「生きてていいんだ」という確信があるからだと思います。

私は今、仕事をしていませんが、とてもニュートラルな状態で、これから何をすべきかを見極めていこうと思っています。

そのなかでも、どうしても気になるのが、「困っている人、苦しんでいる人に手を差し伸べられたら」ということです。これがどういう形であれ、私の進む道になる気がします。

そして、今進む道がわからなくても、今に生きていること、今目の前にあることを大切にやっていくことの先に、湧き上がってくる道というか、役割があるのだと確信できています。

また、とにかく、日々感情のアップダウンが減り、穏やかでいられることが一番です。自分に向けていたエネルギーが強かった分、外に向いたエネルギーもすごいことを感じています。

これからは集合的無意識をさらに追究し、より広く、より大きい視点から見られるよう、日々実践していきます。